沖縄サミット(2000年7月開催)と小渕首相は切っても切れない、立役者。
産みの親ですよね。日本で開催されるサミットとして地方開催では、沖縄が初。当時8つの市が立候補していましたが、最終的に小渕首相の英断で沖縄に決定したのです。
しかし、小渕首相はサミット開催前の4月、脳梗塞で倒れ、5月に亡くなられました。沖縄サミットには出席できませんでした。次総理の森喜朗さんがその後と取仕切り、無事サミットを成功させました。
その記念碑がブセナホテル隣接施設の「万国津梁館」にあります。
これは、小渕首相の言葉です。
沖縄問題に強い思いを寄せた最後のリーダーとも言われ、沖縄への手厚い振興策や沖縄サミット開催の決断も業績に数えられています。
小渕首相はこんなに沖縄を大切に思っていたんですね!そして、それを周りの人は良く分かっていた。だから、その功績をこうしてたたえて、石碑に残しているのですね!
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